コラム「ちょんな」

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ちょんな 浜松建設業協会の総務・情報委員会メンバーによるコラムです。

2007年8月

 今朝の天気には、驚いた。天気予報では、午前50%、午後60%だった。まあ、弱い雨が少し降る程度だろう。恐らく、仕事は何とかできるだろう。そんな軽い雨ぐらいに考えていた。ところが、出勤時間が近づくにつれ、西の空が俄に暗くなってきた。この暗さは何だ、と思っているうちにますます暗くなって、まるで日が暮れてしまったかのようだ。流石に、異様な暗さに不安を感じ、もしかして天変地異が起こるのではないか、という虞さえ持った。

 雷鳴の轟きまで聞こえはじめ、暗い空に頻りに光が走る。朝方のこんな暗い空を今まで見たことがあったろうか。初めてだ。昔の人が空を見て、神が怒っているというのは、こういう不気味な空を言うのだろう。雷鳴は、徐々に音を大きくし、途切れることがない。雨が降り始めた。横殴りの雨だ。私は思わず、大きな窓のある部屋に移動し、カーテンを一杯に開け外の様子に見入った。あまりの雨の激しさに水煙が生まれ、風に流されていく。こんな雨が降り続けたら、それこそノアの洪水だ。土砂降りの雨だ。

 でも気がつくと、先ほどよりも空が明るい。あの異様な暗さが消えている。雷鳴は続いているものの、近づいてはいないようだ。神の怒りも、天のバケツをひっくり返すことで少し収まったようだ。雨風は依然激しいが、先ほどの空の暗さに感じた不安は、もう消えていた。そのうち、雷も遠のき、雨量は多いものの、いつもの朝の時間に戻っていった。

 私が自分でも驚いたのは、空の暗さに感じた虞だった。この難しい字を書く虞を、しかも自然に対して感じる虞を、私は持った覚えがない。もしかしたら、子供の時に持ったことがあったかもしれないけれど、大人になってから抱いた記憶がない。自分ではどうしようもなく不安で、想像を絶する大きさと力で私たちの生活を破壊する何者かが、私を覆い包もうとしている感覚。よく昔の物語などに聞く、神の怒り、とか神のお告げ、神のくだす罰とは、こういうことをいうのではなかろうか。古代の人は、こういう気持ちから自然に、神を信じ祭礼を生んだような気がする。

<M.I>