コラム「ちょんな」

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ちょんな 浜松建設業協会の総務・情報委員会メンバーによるコラムです。

2022年5月

はやぶさの最後
 人形やおもちゃがいきなり子供に話しかけても、話しかけられた子供が怖がりもせず当たり前のように会話をしている場面をテレビでご覧になったことが有るかもしれません。子供とぬいぐるみ幼児は、全てのものに自分と同じような意識や感覚があると思っているので、人形がしゃべっても不思議だとは思わないのです。子どもにとっては、人形も車もチューリップも自分と同じように意思のある存在なのです。
 これは幼児期の発達段階のひとつで、「生物、無生物の区別なく、すべて生命があるものとしている」という現象です。アミニズムと言います。
 元々、アミニズムとは、「人間以外の存在に魂や霊の存在を認める考え方」だそうです。幼児限定の発達段階として表されることもありますが、本来は「霊魂」とか「信仰」とかに係る考えで、難解な解釈と論説が多々あり、正直私には皆様に解説する力量はありません。
 が、ざっくりいうと、人は物には魂や意思があるように擬人化して扱ってしまう傾向にある、ということでしょうか。
 既に私はいい大人の年齢ではありますが、「無生物」だとわかっていても、人形などをゴミ箱に無造作に捨てるのはなんか忍びない気持ちになりますし、電池切れ間近のリモコンに、お願いもうちょっと頑張って!と声援を送ったりもします。

はやぶさ ところで、小惑星探査機はやぶさが、宇宙探査を終え地球に帰還した時のことです。
 はやぶさは、7年もの間、幾多の困難を乗り越え満身創痍となってデータを集めていました。その貴重なデータを収めたカプセルを地球に放出した直後、はやぶさは大気圏に突入したのです。
 はやぶさの最終ミッションは、自ら大気圏に突入し、バラバラになって燃え尽きることでした。その最後の時、技術者たちは、はやぶさの向きを変え、地球を見せてあげたそうです。
 宇宙開発という科学の最先端で、根拠のないものは信じない人達でも(イメージです)、はやぶさを意思あるものと見立て、敬意を示す・・。はやぶさの最後に胸を熱くしながらも、科学者たちに一気に親近感湧くエピソードでした。