コラム「ちょんな」

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ちょんな 浜松建設業協会の総務・情報委員会メンバーによるコラムです。

2010年1月

 あけましておめでとうございます。
 何処をどう見ても、明るいお正月気分が感じられない平成22年の幕明けですが、どうかこの1年が良い年でありますように。「コンクリートから人へ」などと、私達を鬼のように思わせる言葉が聞こえなくなりますように。来るかもしれないという2番底などがわからないほどに、せめて横ばいでありますように。決して多くは望みません。せめてどうかこのままで。

 何かお願いばかりが、次から次へと出てきます。自分の限界が分かるからでしょうか? それとも、それだけ閉塞された時代ということでしょうか?

 この場に政治のことはそぐわないでしょうけれど、今回は話したい。話させて下さい。普段私はノンポリ(古い言葉ですね)ですし、政治に格別の関心もありません。政治を話すことは、何かスキャンダルに浮かれているような罪悪感を覚える自分です。「まずは自分のやるべきこと、やれることに最善を尽くすべきだ。」と常日頃考えています。政治に関わる人たちは、私よりはるかに優秀な人たちばかりで、その人達が一生懸命考えて行動している以上、愚かな私が話した所で何の意味もない。どうなるものでもない。
 確かに、その通りなのです。あの人たちの能力と努力は、決して私の手が届かない高みにあります。でも、今は話したい。それは私が公共事業に携わり、大袈裟にいえば、時代の踏み石になっているように感じているからです。「コンクリートから人へ」。それはそれでわかります。コンクリートは、百年は強度を保つのです。スクラップ&ビルドは、エコの時代にそぐわない。砂利道が珍しく感じられるほど、多くの社会資本が整備されました。社会全体の効率性から考えれば、公共事業の一部は抑制されてしかるべきだ、という話もわかります。でも、忘れてならないのは、一つの事業が形をなす為には、多くの人々の切望が背景にあるのです。決して僅かな我儘者が陳情して、形になったのではありません。必ずそれらを必要としている人々がいるのです。
 今回各事業が、仕分けの中で切り捨てられるのは、やむを得ないと思っている人は多いと思います。それは、税収が落ち込み人口も減少し、さらに世界不況の激しい嵐の中で、従来通りには行かないことは明白だからです。だからこそ、多くを期待して政権交代が起きたのです。民主党に風が吹いたのです。右肩上がりが想定できない状況の中では、今までの何かを切り捨てなければ、バランスを保てないのは子供でも分かります。まして資源のない日本は、外需に頼らざるを得ないのですから、世界の中で優位を保つ為に、「選択と集中」は絶対不可欠です。公共事業を縮小し、新たな発展の為の投資に集中するのは、当然のことです。私達の仕事が減るのも、やむを得ないことだと思います。

 それなのに。あーそれなのに。
 何でこーなるの!!!

 中蓋を開ければ、バラマキで終わっている。私達の糧である公共事業を大幅に削減し、大量の国債を発行し過去最大の92兆円もの予算を組みながら、何処に日本の将来が見えているのですか?多くの人々の我慢を踏み台にして、どれだけの未来が描けているのですか?ニュースで聞く限り、「未来の大切な芽を育てる為にこれに集中しました。」という話を聞いたことがない。今の、そして、これからの私達の我慢が将来の日本の発展に繋がって欲しいのです。世界の中で日本が沈没しないように、英断して欲しいのです。それが出来るのが政権交代です。今回がチャンスなのです。今までのしがらみに囚われずに、思い切って将来の日本の為に集中投資すべきです。ボーダーレスに情報や資本が瞬時に飛び交う厳しい世界の中で、優位を保ち続けることは、一朝一夕でできることではありません。地道な努力と根気強い育成があって初めて出来ることです。その為に公共事業が削減されるのであれば、私は耐えなければいけない、と思っています。新年スタートの「ちょんな」が、ボヤキに終始して申し訳ありません。でも、最近報道を見聞きしていると、心底怒りを覚えるのです。今まで政治にこんな怒りを感じたことがありませんでした。それだけ、私は耐えているという実感を持っています。最後に、

 果たしてバラマキで、日本は世界の中で優位を勝ち取れるのですか?

<M.I>