コラム「ちょんな」

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ちょんな 浜松建設業協会の総務・情報委員会メンバーによるコラムです。

2009年5月

戦国ブーム?

 若い女性の間で「戦国ブーム」が起きているらしい。ネットの世界でお気に入りの武将を語らい、史跡を巡る。知識は専門家も舌を巻くほどで、戦国時代をテーマにした居酒屋、グッズを売る店も登場している。 ブームの背景には、戦国時代をテーマにしたゲームの売り上げが好調なことや、NHK大河ドラマの影響があるらしい。戦国武将をゲームの美形キャラクターやドラマの役者のようなイメージでとらえ、戦国武将をアイドルのように扱う雰囲気が生まれている。

 しかし、実際はどうだったのであろうか。そのころの男性の身長は150cmそこそこだったというし、馬もサラブッレドではなく木曽馬のような日本古来の在来種、髪型も月代を剃り上げたものであっただろう。外見だけでもゲームキャラとは大分違うと思われる。戦さも、刀の切りあいではなく、むしろ殴りあいや、矢、石などの飛び道具を使う、水攻め、火攻め、城から汚物を流すなど決して格好の良いものではなかった。

 おりしも、NHK大河ドラマは「天地人」。上杉家の執政直江兼続が取り上げられ、彼の人間愛がクローズアップされている。だが実際のところどうであっただろう?

 正義と愛だけで戦国の世がおくれるわけがない。謀略、裏切りが日常茶飯事、ご多分に漏れず直江兼続もそんな戦をしていたのだろう。直江の家は忍者集団(軒猿)や水軍(海賊)を直接支配する立場に有り、上杉家の影の部分を任されていたのである。上杉の義のための戦いを裏で支えるためには、謀略、暗殺も命じたのだろう。そこに愛はあったのだろうか?義はあったのだろうか?
 主君景勝は生涯、謙信以来の義を守り通し、兼続を中心とした家臣団がそれを支えた事で、上杉は「義」の家となった。義のために損得抜きで戦う事は、家臣にとって大変な負担であり、不平、反抗も多かったであろう。それを抑えることも兼続の役目であった。ドラマのような人間愛だけでは乗り切る事は出来ず、非情な面も持っていたはずである。

 戦国武将への憧れから古き日本をより深く知ろうとする事は結構だが、歴史はゲームでは無く、そこに人間が生きていたのだと言うことを認識してほしい。一人の武将だけではなく、それを取り巻く人々が生きていて、それぞれに人間ドラマがあったはずである。ドラマでは武将の一面からだけの見方をするのではなく、反対側からのアプローチもしてもらいものである。

<K.K>